葛西(かさい) 紀明(のりあき) (52)

 1972年、北海道生まれ。札幌オリンピックが開催された年に生まれた葛西さんは、郊外にジャンプ台がある上川郡下川町で雪に親しみながら育ち、小学3年生でスキージャンプを始める。すぐに才能は開花し、ジュニアの国内大会で優勝を重ねた。中学3年生の時に宮様スキー大会国際競技会のテストジャンパーを務め、成年クラスの優勝者より飛行距離が上回ったことで注目を浴びる。スキージャンプ・ワールドカップは、1988/89シーズンの11月に札幌で開催された大会に16歳6か月で初出場し、当時の最年少出場記録を更新。1989/90シーズンから本格参戦している。
 1990年前後、飛行姿勢に変革が訪れる。V字飛行の登場だ。深い前傾姿勢が定着していたが、板の先を左右に広げて飛ぶ選手が現れた。この飛行姿勢は当初、両足の板が揃っていないことで飛行点が減点されていたが、ワールドカップで総合優勝する選手が現れたことでV字スタイルを取り入れる選手が増え、減点対象から除かれることとなる。日本では1992年のアルベールビルオリンピックから、V字転向が代表入りの条件となった。葛西さんは、冬期オリンピック初出場となった同大会ではV字飛行への移行準備が整わず個人成績は振るわなかった。しかしオリンピック後に習得してV字スタイルに慣れると成績は再び上昇。オリンピック後のワールドカップ1991/92シーズンの大会で表彰台に立つ活躍を見せた。また、チェコで開催されたスキーフライング世界選手権(兼 ワールドカップ)では金メダルを獲得し、スキーフライング世界選手権で日本人選手初のメダル獲得者となり、同時に、19歳9か月でワールドカップ日本人最年少優勝記録(当時)を樹立することとなった。
 スキージャンプ界では30代後半以降も第一線で競技を続ける選手は異例なため、40代になっても競技を続けていた葛西さんは、敬意をこめて“レジェンド”と呼ばれるようになった。選手であり続けること自体に大変な努力が必要とされるが、国際大会で優秀な成績を収めている。ワールドカップの2013/14・2014/15シーズンではそれぞれ優勝しており、現在も最年長優勝記録【42歳+176日】を保持している。また、ワールドカップの最多個人出場【578回】、ノルディックスキー世界選手権の最多出場記録【13回】、オリンピック最多出場【8回】、オリンピック最年長団体メダリスト【41歳+256日】など合わせると、7つのギネス世界記録を保持している。
 高校卒業後の1991年に㈱地崎工業(現:㈱岩田地崎建設)に入社。㈱マイカルを経て2001年に、創設されたばかりの㈱土屋ホームスキー部へ移籍した。2009年からはスキー部の監督も務めており、ワールドカップで優勝する選手を育てている。現在は社員として営業現場に出ることや会社主催のイベントに参加することの他、札幌市民公開講座の講師として自身の経験を語ることもある。
 葛西さんは、今年2月、51歳で臨んだ国内のTVh杯ジャンプ大会で2期ぶりに優勝した。2026年にイタリア・ミラノで開催されるオリンピック出場を目標に努力を続けており、“レジェンド カサイ”の活躍を期待されている。