1958年、鹿児島県生まれ。藤田さんは友だちと遊ぶことより目が見えない父親の手伝いを優先する、弱い人を置き去りにできない子どもだった。小学生の頃の夢は教師になること。大学進学に必要な学費を準備するため、自立できて貯蓄も可能な看護師を目指し、まずは定時制高校へ進学。看護学校で解剖学や生理学を学ぶことが面白くなり正看護師のコースに進学した頃に、インドで貧しい人々の救済活動に生涯を捧げているマザーテレサの存在を知る。彼女の下で働きたいと思い関連書籍を読み漁る中で、看護師が生涯の仕事になる予感がした。春日市にある福岡徳洲会病院に勤めていた1988年、講演に来た中村哲さんと出会ったことで運命が変わる。ペシャワール会が実施したパキスタンで活動する女性医療従事者募集に、マザーテレサのような仕事ができるかも知れないと考え志願した。藤田さんはパキスタン北西部でのハンセン病治療に始まり、アフガニスタンでの用水路建設に至るまで約20年間、現地で中村さんと行動を共にした。治安の悪化で2009年に帰国を余儀なくされてからは日本で後方支援を継続。現地スタッフと強い絆で結ばれている藤田さんは、ペシャワール会に欠かせない存在だ。2021年、看護分野での国際的貢献が認められ、フローレンス・ナイチンゲール記章を受章した。