津田(つだ) 雄一(ゆういち) (46)

  1975年、広島県生まれ。2003年、東京大学大学院工学系研究科航空宇宙工学専攻博士課程を修了。同年、宇宙航空研究開発機構(以下 JAXA)に入り、小惑星探査機「はやぶさ」の運用に関わるとともに、ソーラー電力セイル実証機「IKAROS」のサブプロジェクトマネージャーを務め、世界初の宇宙太陽帆船技術の実現に貢献した。2010年から「はやぶさ2」のプロジェクトエンジニアとして、搭載機器の調整や探査機全体のシステム構築などを主導。2015年4月にはプロジェクトマネージャーに就任し、総勢600人の多国籍スペシャリストで構成される一大プロジェクトを取りまとめた。「はやぶさ2」は太陽系の起源や進化と生命の原材料物質を解明するため、地球から約3億キロメートルの位置にある小惑星「リュウグウ」から、気体や個体のサンプルを持ち帰るために開発された実用型の探査機。「リュウグウ」で採取された物質が入ったカプセルは2020年12月5日、地球の大気圏内で「はやぶさ2」から切り離され、翌6日に豪州内に着地、回収された。同月15日、JAXAはオンライン会見を開催し、回収されたカプセル内に「リュウグウ」由来のガスや砂が入っていたことが発表された。津田さんが指揮したこのミッションは、①小型探査ロボットによる小天体表面の移動探査、②複数の探査ロボットの小天体上への投下・展開、③小惑星での人工クレーターの作成とその過程・前後の詳細観測、④天体着陸精度60cmの実現、⑤同一天体2地点への着陸、⑥地球圏外の天体の地下物質へのアクセス、⑦最小・複数の小天体周回人工衛星の実現、⑧地球圏外からの気体状態の物質のサンプルリターン、⑨C型小惑星の物質のサンプルリターンという、世界初となる偉業を9つも成し遂げたミッションであり、宇宙に関心のある多くの人々の心に深く刻まれることになった。
 津田さんと宇宙との出会いは小学校低学年の頃。父親の仕事の都合で米国暮らしをしていた時にフロリダ州のケネディ宇宙センターで、スペースシャトル打ち上げのロケット発射台を見学し、その大きさに圧倒された。帰国後、小学4年生の時に打ち上げられたハレー彗星(すいせい)の探査機が、自分が暮らしている相模原市にあるJAXAの研究施設で造られたことを知り、日本の技術力の高さに驚いた。高校時代には宇宙好きの学友との出会いがあった。米国のボイジャー2号探査機の海王星通過や、JAXA所属の毛利衛さんが日本人宇宙飛行士として初めて米国のスペースシャトルに搭乗するなど、当時起こった宇宙に関することを夢中で語り合った。パイロット志望だった津田さんは、航空機を操縦するより宇宙のはるか遠くへ旅する機体を造る仕事の方が面白そうだと考えるようになった。“ものづくり”が大好きだった少年は、宇宙開発技術者、研究者の道を歩むことになる。
 津田さんはJAXA宇宙科学研究所の教授として研究活動や学会等での論文発表を行う傍ら、依頼を受けて日本各地で講演を行っている。小学生には易しい表現で何かに夢中になることの大切さを、中・高生には、趣味でもスポーツでも勉強でも、何か興味をもったことはとことん突き詰めて、そこから、少しずつ自分のやりたいこと、得意なことを見つけて欲しいと伝えている。