野沢(のざわ) 雅子(まさこ) (84)

 1936年、東京都生まれ。画家であった父親が尾瀬を描いた作品で日展に入選した縁で小学3年生から高校卒業まで群馬県沼田市で暮らし、高校生時代は球技や陸上競技などに励んでいた。3歳の時に子役として映画デビューしたが劇団に所属したのは中学生の時で、以来、学校が休みになると東京で女優の仕事をしてきた。高校卒業後に上京し、本格的に芝居に打ち込む傍ら、在籍していた劇団の運営を支えるため10代の終わり頃から洋画の吹き替えを始めた。野沢さんが声優を始めた1950年代は声の吹き替えは録音ではなく生放送だった。収録中のNGは全て最初から録り直していたため、NGを出すと共演者に申し訳ない気持ちで一杯になったと、当時のことを回想している。
 野沢さんは少年役の声優として有名だが、きっかけは洋画の生アフレコだった。夜のテレビ生放送では時間の制約があり子役を使えなかった。そこで、女性の声の方が男性より少年の声に近いのではないかということで、少年役を担当する女性声優のオーディションが実施された。抜擢された野沢さんが見事に演じたことで、それ以降少年の声は女性が担当することが一般的になり、野沢さんに少年役の依頼が次々と舞い込むようになる。アニメデビューは1963年に放送された「鉄腕アトム(アニメ第1作)」のゲスト出演、1968年には「ゲゲゲの鬼太郎(第1作)」の鬼太郎役で初主演を務めた。
 1969年、日本で初めて声優専門の芸能事務所として「青二プロダクション」が設立された。青二プロには現在400名以上のタレントが所属している。野沢さんは設立時メンバーの一人であり、現在も所属タレントとして活躍している。女優としては、1991年に「劇団ムーンライト」を旗揚げした。主宰者として今も演出を担当しており、原則年2回、荻窪にある劇団のアトリエで公演を行っている。
 野沢さんは、日本のみならず世界の子どもたちの憧れの職業となった声優業を専門職として確立したパイオニアの一人である。少年・少女・女性の声を巧みに使い分け、数えきれないほどのキャラクターに命を吹き込んできた。全ての役に真剣に取り組んできたが、印象に残る役として『ドラゴンボール』シリーズの孫悟空、悟飯、悟天、『ゲゲゲの鬼太郎』の鬼太郎、『銀河鉄道999』の星野鉄郎を挙げている。声優としての功績は高く評価されており、外画放送開始50周年を記念して創設された「声優アワード」で 2013年に「第7回 功労賞」を受賞。2017年には映画界を励ます目的のもと現役の映画評論家が集まって実行している「第26回 日本映画批評家大賞 声優賞」を受賞、2018年には長年の声優活動を通じて児童文化の向上や普及に努め健全育成に貢献してきた実績が認められ「平成30年度 児童福祉文化賞 特別部門」を受賞した。また2017年1月31日付けで、バンダイナムコエンターテインメントの「ドラゴンボール」関連のゲームで主人公・孫悟空の声優として「ひとつのビデオゲームのキャラクターを最も長い期間演じた声優」「ビデオゲームの声優として活動した最も長い期間」の2項目でギネス世界記録に認定されている。84歳の今も現役の声優として活躍しており、後進たちの目標であり続けている。