小平(こだいら) 奈緒(なお) (32)

 1986年、長野県茅野市生まれ。スケートとの出会いは3歳の時。姉二人がスケートクラブに通い始めたことで、母親に連れられて姉たちが練習するスケート場へ行くようになった。世界を目指すきっかけは、小学校5年生の時に開催された長野五輪。スピードスケート競技の500メートルで金メダルに輝いた清水宏保さんの雄姿に憧れた。中学校では学校のスケート部の他、車で1時間ほどのスケートクラブに通い、夜遅くまで練習に没頭。2年生の時に500メートルで中学記録を樹立し、同年の全日本ジュニアのスプリント部門で高校生を破って、史上初の中学生王者に輝いた。高校は、教員になるという目標に向けて地元女子高の進学コースへ。学校にスケート部は無かったが、同好会で活動し、インターハイの500メートルと1000メートルで2冠を達成した。
 全国大会で活躍した選手の多くが練習環境の整った実業団に進む中、小平さんは勧誘を断わり、保健体育の教員免許取得と、長野五輪で清水宏保さんを金メダルへ導いた結城匡啓コーチ(現教育学部教授)の下で学ぶため信州大学教育学部へ進学し、2009年に教員免許を取得して卒業した。大学卒業後、結城コーチと練習を続けられる所属先を探したが見つからず、競技継続が危うい状況に陥った時、救世主が現れた。温かい手を差し伸べたのは、松本市にある相澤病院だ。理事長の相澤孝夫さんは、畑違いの小平さんを病院のスポーツ障害予防治療センターのスタッフとして採用し、医学面のサポートも提供するなど、現在も競技生活を支えている。
 2010年のバンクーバ五輪、2014年のソチ五輪に連続出場するも、個人競技のメダルは獲得できなかった小平さんは、自身のスケートを見直し、さらに技術を磨くため、スケート強豪国のオランダへ単身留学することを決意。病院に籍を置いたまま2年間の武者修行で、精神的な強さを身に付けた。2016年、外国人と同じことをするだけでは勝てないと考えて国内に拠点を移し、これまでの行ってきたエクササイズに古武術を取り入れた、独自のトレーニングを開始。辞書を片手に海外から取り寄せた文献を紐解き、動きを理論化し、理想の肉体を追求。時には、一本歯の下駄を肉体強化の用具として体幹を鍛え、手の指先まで氷から力が伝わるよう、感覚を研ぎ澄ましていった。2017年2月には、世界距離別選手権や世界スプリント選手権の500メートルや1000メートルで優勝するなど、練習成果が見えだした。2017/18シーズンも好調を維持。三度目の平昌五輪には日本選手団主将として出場し、500メートルでついに金メダルを獲得した。地道な努力を重ねて31歳で大輪の花を咲かせた小平さんは今春、紫綬褒章を受章した。
 テレビ観戦した多くの子どもたちが憧れを持ち、金メダルを目標にするだろう。女性アスリートとして体力的なピークを過ぎたといわれる30代になって自己記録を更新したことに勇気をもらう女性も多いのではないだろうか。小平さんは、良いときも悪いときも常に自分のことを認めてくれる家族や、競技生活をサポートし続けてくれる相澤病院への感謝を胸に、新たな目標に向かっている。