1945年、中国天津市生まれ。引揚船の中で高熱を出し、生後6か月で右目を失明。小学2年生で左目の視力も失い、3年生から岡山県立盲学校へ編入した。幼少の頃は障害者が家族の中にいることを隠す風潮であったが両親は、世間知らずにならないよう外へ連れ出した。あん摩マッサージ指圧師やはり・きゅう師になる人が多い中、竹内さんは、それらの資格を取りつつも教師になるため猛勉強し、東京教育大学(現筑波大学)へ進学。盲学校教員養成課程を修め、1968年から母校の岡山県立盲学校で教鞭をとり、高等部教頭も務めた。また、アジアの視覚障害者が日本でマッサージ技術を研修して帰国しても技術を広める仕組みがないと知ると、海外で職業訓練学校を設立する活動を始め、2011年にモンゴルで、2015年にキルギスで学校を設立。さらには、通学する現地の子どもたちの中に手術で視力が回復する子がいることに気付き、昨年、「ヒカリカナタ基金」を設立した。自らの半生をつづった『見えないから、見えたもの』は2015年に映画化され、命の尊厳を訴える作品となった。竹内さんは1991年から、人権問題、いじめ、障害者理解をテーマに、2300回以上講演会を行っている。自身の経験を時にはユーモラスに語り、逆境に負けない人生を歩んで欲しいと願っている。