藤野(ふじの) 正二(しょうじ)(73)

 1939年、新潟県生まれ。高校卒業後一旦就職したが、プロのカメラマンの道を志すため退職し、東京写真短期大学や新潟大学教育学部芸能課で写真家になるため勉強した。1965年、大学在学中に結婚し、上越市で写真店を開業。藤野さんは、短大在学中からアルバイトでカメラマンの仕事を始め、電通株式会社の撮影助手として仕事を続けた。カレンダー用の写真撮影の需要が増えていた1980年、世界最高峰のエベレストを自分の目で見て、写真に収めたくなり、一人でネパールへ行き、エベレストが美しく見える村の劣悪な環境に衝撃を受けた。首都カトマンズから東へ約300キロ。徒歩で往復2週間の旅程で訪れたシャンボチェ村。出会った子どもたちは、ほとんどがはだし。学校もそれとは気づかないほど粗末なものだった。村の子どもたちの様子は、戦後日本の混乱期の自身の体験と重なり、藤野さんはこのままで良いのかと自問自答。ネパールの将来を左右するのは、この国の子どもたち。幼い子どもたちに教育の機会を与えることの重要性を認識し、学校へ通えない子どもたちが多くいるこの状況を打開すべく、ネパール東部のソルクンブ郡で学校建設を支援することを決意した。校舎だけなら、50万円ほどで建てられる。藤野さんの援助で最初の学校がモンプン村に完成したのは1989年。村人総出で地ならしを行い、石と岩で仕上げた手作りの校舎。藤野さんは、わずか2教室で始まったこの学校への支援を続け、今では7教室に職員室や教員宿舎、トイレなども備えた立派な学校になった。藤野さんはこれまでに5校の建設を支援している。そんな藤野さんの情熱が地元政府に影響を与え昨年までに、ソルクンブ郡の42の集落全てに学校ができた。藤野さんの支援は学校の建設にとどまらず、教師を途切れることなく派遣してもらえるようソルクンブ郡の教育委員会との間にルートを構築した。また、中古ミシンを寄付し女性が収入を得られるよう裁縫教室を開く活動、畜産や農産などの農業支援も行っている。
 特筆すべきは、女児の若年結婚の改善である。ネパールの山村では生活力が身に付く30歳前後の男性が、12~13歳の女児と結婚する習慣があった。肉体的に未成熟な女児が結婚し、妊娠・出産するため、支援開始当時の母子死亡率は70%強。無事出産してもすぐ労働を強いられる状況に驚嘆した 藤野さんは、村の大人たちの考えを変える必要性を痛感し、日本の産婦人科医の協力を得て、女性の結婚や出産に関する教育を始めた。多くの男性が反対する中、20年以上をかけて地道に活動を続け、女性は18歳まで結婚しないという習慣を定着させ、その結果、出産時の母子死亡率も改善され、ほぼ皆無になった。
 支援に訪れるたび、ヒマラヤの自然や人を撮り続け、これまでに地元の新潟でネパール写真展を7回開催した。人々の喜びが、30年以上にわたりネパールの山岳地帯の村に心を寄せて活動を継続している藤野さんの原動力になっている。