浦田(うらた) 理恵(りえ)(37)

 1977年、熊本県生まれ。2012年のロンドンパラリンピックでゴールボール競技に出場し、日本初となる団体競技での金メダルを獲得した。一つの夢を実現はしたが、それは幼い頃からの夢ではない。
 小学校の先生になるのが浦田さんの夢だった。元気一杯の子どもたちに囲まれて楽しく勉強を教えている自分を想像しながら福岡の専門学校に通っていた21歳の時、急激な視力の衰えを感じたが、人と違う自分を受け入れられず見えるふりを続けていた。しかし、心身共に疲れ約1年半のひきこもり生活を送る。その後やっと両親に告げることができ、正面から受け止めてもらえたことで前向きな気持ちを持てるようになり、眼科を受診。医師から網膜色素変性症と診断された。網膜にある視細胞は、目から入る視覚的な映像〔光情報〕を神経信号〔電気信号〕に変換する働きを持つ。網膜で電気信号に変換された光情報は、神経系を通して脳中枢へと伝達され、私たちは形や色などを認識している。網膜色素変性症は視細胞に異常をきたす遺伝性、進行性の病気で、根本的な治療法がないこともあり、1996年に難病に指定されている。浦田さんはわずか3カ月で左目の視力を失い、現在、右目は視野が95%欠損しており、強いコントラストのものしか判断できないという。
 鍼灸マッサージ師の免許取得のため入所した視力センターで、運命的な出会いがあった。テレビで放送されていた、ゴールボール日本代表の銅メダルがかかったアテネパラリンピックの試合。勝利した日本チームから勇気をもらった浦田さんは、すぐに地元のチームに入部した。ゴールボールは、1チーム3名で行う球技。バレーボールと同じ大きさのコートで、目隠しをしながら鈴の入ったボールを交互に転がし、エンドライン一杯に設けられたゴールに互いにボールを入れ合うことで得点を競う、パラリンピックの正式種目。視覚障害の程度は個々に異なることから、試合では、スキーゴーグルのようなアイシェードが使われる。このアイシェードを使うことで、晴眼者も競技を体験することができる。ゴム製のボールは重さが1.25㎏ある。耳を澄まし、体をなげ出し、ボールが自陣のゴールに転がるのを阻止する。浦田さんはディフェンスの要としてめきめきと頭角を現し、日本代表チームの精神的主柱として活躍。現在、2016リオデジャネイロパラリンピックで2連覇達成の夢に向かって、努力を続けている。
 浦田さんは、障害者の新しい雇用開発と障害者スポーツの振興を目的として設立された「シーズアスリート」に所属している。支援会員向けにマッサージ業務営業活動を行う傍ら、自暴自棄になっていた自分を家族や友人が温かく支えてくれたことや、勇気をだして一歩を踏み出すことによって始まる新しい世界との出会いなどをテーマに、日本各地で講演活動も行っている。