向井(むかい) 千秋(ちあき) (61)

 1952年、群馬県生まれ。小学4年生のころ作文に、「大きくなったら、お医者さんになりたい」と書いた。それは、脚に難病を患った弟を背負い、週に1度、片道1時間半をかけて東京の病院へ治療に通う母の姿を見ていたから。弟の足を治して母の苦労をなくしてあげたい。向井さんは素朴な気持ちから医師になることを志し、夢に向かって努力を続け、慶応義塾大学医学部へ進学。1977年に卒業し、同年医師免許を取得した。
 慶応義塾大学病院で同大学出身の初の女性心臓外科医として勤務する中、ある新聞記事が目に留まった。それは、宇宙飛行士募集の記事だった。向井さんは、自分の目で宇宙から地球を眺めてみたいと一念発起。病院勤務の傍ら上級英会話の習得や体力づくりにも励み、2年近くにおよぶ宇宙開発事業団(現 宇宙航空研究開発機構。以降 JAXAという。)の試験をパスし、1985年8月、応募者533名の中から、毛利衛さんや土井隆雄さんと共にJAXAの第一次材料実験の搭乗科学技術者に選定された。その後、米国NASAのジョンソン宇宙センターで心臓血管生理学の研究に携わり、また、さまざまな訓練を受けるなどして搭乗準備を続け、1994年7月、スペースシャトル・コロンビア号に搭乗。アジア人女性初の宇宙飛行士として、14日間の飛行中に、微小重力科学、ライフサイエンス、宇宙医学などに関する82テーマの実験を遂行した。
 最初の宇宙飛行で向井さんは、打ち上げから40分後に座席ベルトをはずし、フライトデッキの窓から地球を見た。真っ暗な中に、太陽の光に照らされた地球がゆったりと回っている。そこは、人種や国籍、性別を超えて、自身を地球人と意識する空間。もしかしたら帰れなくなるかもという思いもよぎる。さまざまなことが相まって、宇宙飛行士の目には、美しい、青い地球と映るのかも知れない。
 医師になるための努力を続けた14年間、宇宙へ飛び立つまでに要した9年間は、夢に向かって前進していればいつか夢はかなうはずと思い続けながら過ごした時間だった。夢を持つ人生は、夢を持たない人生の2倍も3倍も楽しい。向井さんは、子どもたちに夢を持ってもらい、あきらめずにチャレンジして欲しいとの思いから、1991年に郷里の館林市に「向井千秋記念子ども科学館」を開設。同館には年間5万人以上の人が訪れている。また、向井さんが心臓外科医や宇宙飛行士として活躍してきた姿は、男性優位とされてきた職業を目指す女性たちにも勇気と希望を与えている。
 2012年、JAXAの宇宙科学センター長に就任。現在も、複数の学会に所属し、また複数の科学技術・学術審議会へも参画しながら、現役の宇宙飛行士として、研究を続けている。
 1994年に総理大臣顕彰と科学技術長官表彰、1999年にスペイン皇太子賞、2013年にアメリカ航空宇宙環境医学会・Joseph P. Kerwin賞を受けるなど、国内外で高い評価を得ている。